【世界キルト紀行 9】チェコ/美しいものを訪ねて
#1 ガラスボタン

キルトを訪ねる旅に出かけると、キルトだけでなくその地域に根付く伝統工芸品や心が弾む品々を揃える素敵なお店などに出合うことがたくさんあります。

今回は、チェコへ旅をしたときに出合った美しい品々を3回に渡ってご紹介しましょう。

まずは、19世紀に一世を風靡したガラスボタンから。

1.ヤブロネッツ・バッド・ニソウ JABLONEC NAD NISOU

(ボヘミア地方)のガラスボタン

 

ガラスでできた古い小さなボタン。浮き出した模様にぎこちない色付けがしてあってその素朴さがなんとも懐かしい。アメリカやヨーロッパのアンティーク屋さんやフリーマーケットで見つけるとつい買ってしまうという手芸作家も多いと聞く。そのボタンがかつてチェコで作られていたということは最近まで知らなかった。

昔のボタンの見本帳(ガラスと宝石の博物館)

 

産地は首都プラハより北に位置するドイツとポーランドの国境。ヤブロネッツ・バッド・ニソウという名の古びた街。
ガラスの歴史を識るために中心部にあるガラスと宝石の博物館を見学した。
ここでは年代ごとにこの地で作られたボタンが展示してあり歴史が理解できるようになっていた。
もともとは一七六〇年ごろから農家の男たちの冬期の仕事として広まり、可愛らしいボタンは次第に世界各地に輸出されるようになる。
ファッションへの需要が高まり全盛期を迎えるのは一八六〇年代のこと。
当時はクリスマス飾りのガラスボールも作られ、第一次世界大戦と第二次大戦の間は輸出のピークとなりこの小さな町は大いに潤ったそうだ。

それらガラスの商品が次第に衰退していった理由は、木やプラスチックのボタンの台頭と、さらにはクリスマス飾りの職人の多くがドイツ系住民だったことで第二次大戦の時に国外追放となったからだ。
クリスマス飾りはその後廃れ、ボタンは共産主義下の社会でも数を減らしたが作られ、現在は二つの工房だけが残っている。
ボタンを作るためには四人の職人(型押し、型を作る、押し型を作る、磨く)が必要で今それが確保できなくなっている。

町はずれにあるボタンを作る工房におじゃました。小さなカマドはガス仕様。
その熱い炎で細長いガラス棒を熱し、型押し作業を黙々と進めるのはクレメント・リーテル氏。
一九六四年以来、ここでこの仕事をこなしてきた根っからの職人。
飴状になった色ガラスがあっという間にボタンの形になる作業を日々、長い年月繰り返し操っている。
「以前は型押し職人は四十人いたけど今は二人だけ。工房もたくさんあって、それぞれ違う型を持っていた」。

黙々と作業するクレメント・リーテル氏(Klement Rýdl)

ボタンの押し型(ボタン工房)

 

その側で冷めたボタンをカットして磨く作業をしているのがセロステフ・リブスキィ氏。
「石で研いでポプラの木で磨くときれいに仕上がる」と教えてくれた。以前ここでは三個の炉がフル稼働していたが今は一つだけに火が入っている。

ガラスを磨くセロステフ・リブスキィ氏。

二人の老人が黙々と作り続けるガラスボタン。
しかしこの仕事を継ぐ人はいない現実。
チェコのボタンの灯火が消えゆく日がそう遠くはない現実を否応無く感じる。

 

 − info −
ガラスと宝石の博物館 Museum of Glass and Jewelry
U Muzea 4/398, Jablonec nad Nisou,466 01。
https://www.msb-jablonec.cz/en

キルト時間13号掲載記事

 

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