【作家紹介 Gallery】Modern Quilt Studio

「モダンキルトスタジオ」のウィークス・リングルとビル・カー夫妻。
2人は日本と繋がりの深いカップルでもある。ウィークスはアメリカの大学卒業後すぐに東京で英語講師となり、その後商事会社で働き八年間を過ごした。
一方ビルは大学院時代に山形県新庄市で英語指導にあたった。2人とも「日本大好き」と公言する愛すべきカップルである。
いつもお互いを尊敬し合っている2人に話を聞きたくなった。まだ凍てつく冬が居座る2月。シカゴ郊外のオークパークにある自宅兼オフィスにおじゃました。

デザインボードに布を配置して意見を交わす、Weeks Ringle(左)とBill Keer(右)。

photo/ Adam Biba 

大学で東アジアについて学び、一九八三年に日本にやってきたウィークスにはどうしても学びたいことがあった。
それは生花。祖父母の形見に受け継いだ古い花器に、かつて祖母が生けた花を再現したいと思ったからだ。
花器は軍人だった祖父が第二次世界大戦前の一九二七年に三年間暮らした九州から帰国するときに持ち帰ったもの。
記憶の彼方に浮かぶのは祖母が生けた菖蒲の花だった。
英語学校の講師となったウィークスが真っ先に取り組んだのは日本語。
毎夜、日本語学校に通いカリキュラムのすべてを受講し尽くし「ウィークスさん、もう受けるクラスがありません」と言われるまでがむしゃらに学んだ。

そして念願のお花のお稽古に通い始めるのは来日一年後のこと。永福町の教室に帰国までの七年間通う。
「お花の先生は褒めてくれました。子供の頃から芸術の才能がないと思い込んできたのですが、日本で創作への自信を得たことで人生が変わりました」。

そして日本滞在中に現在の仕事につながるきっかけとなる出来事があった。それはデパートで開催されていた黒羽志寿子さんのキルト展。
展示されていた作品の前に立った時、衝撃が走ったそうだ。
「日本の布でアメリカンキルト!」。心揺さぶられた。
そして思ったのは「お花は数日しか持たないけれど、キルトならずっと美しさを伝えられる」ということ。
本屋に走りキルトの本を買い求めた。しかし本格的にキルトに向き合うまでにはまだ時間がかかることになる。

一九九〇年に帰国後、造園建築を学ぶため大学院に進んだウィークス。
卒業後に大手企業の手がける日本庭園の仕事に就くが、政府のボランティアを志願して退職。
アパラチア(経済発展が遅れていた東部の一地域)での一年間のコミュニティーサービスに関わった。一九九五年のこと。

同時期にアパラチアでボランティアとして子供達に読み書きを教えたり、デザインの担当をしていたのがビルだった。
そこで意気投合した二人は出会いの二週間後に結婚を約束した。一年後に二人は結婚。しかし「モダンキルトスタジオ」誕生はその四年後のことになる。

結婚した時にビルの母は余命一年を宣告されていた。新婚の夫婦は「最後の年を最高の年にしてあげたい」と共に介護に専念しそれは四年間に及んだ。
その時間を乗り越えてきたことで二人には強い絆と信頼が生まれた。

キルトが共通の趣味となっていったことも運命としか言いようがない。ウィークスのキルト作りをビルが面白そうと感じた理由はミシンだった。
実際ビルは子供の頃にミシンを「面白い機械」と感じていて遊び感覚で縫い物を楽しんでいたのだ。二人の「モダンキルトスタジオ」が始まった。

デザインワークはいつも一緒のウィークス(右)とビル。

時はミレニアム直前の一九九九年。アメリカのキルトの世界を見渡せば、伝統的で重厚な色合いが主流だった。
二人の好む明るい色の幾何学模様のデザインはそこになく、キルトの世界は遠い「孤島」のようだと感じた。
そして二人は何か違うアプローチでキルトの提案をしてみようと策を練った。

それはニューヨークのインテリアのショーに出展することだった。そこで彼らはホテルや会社、個人からの注文を受けることになる。
ニューヨークタイムズ誌に二人の記事が掲載されると出版社からパターンの本を出す話が舞い込み、二〇〇三年には生地メーカーから布をデザインする仕事が入った。
ビルは大学で美術を教える仕事を掛け持ちしていたが「モダンキルトスタジオ」の仕事は新しい扉をどんどん開けていった。
そんな中、二人が受注のために作っている小冊子を一般のキルターが欲しがっているという情報を得た。
目的は本の中のキルトを見るためだった。「これはビジネスになるかも」と直感すると二人はパターンを販売し始めた。

ビルはミシン男子。来ているシャツも本人の手作り。

当時、人気上昇中の生地デザイナー、アミー・バトラーが、モダンでレトロなキルトを提案し、まさに新しいキルトの時代の幕が上がり始めていた。
「もっとモダンに」を合言葉に新しいジャンルを作り上げようとみんなが盛り上がっていた。二〇〇九年にネット上に「モダンキルトギルド」がスタートするとさらに注目が高まった。
彼らがやってきたことに世の流れがやっとついてきた感じだった。
パターン、雑誌、オリジナル生地、そして各地での指導。その後の忙しい年月が続いていくこととなる。

オリジナル生地はモダンキルターに人気。

話は少し戻るが「モダンキルトスタジオ」設立の翌年に夫妻は親になった。
子供に恵まれず養女を迎えたのだ。迎えたのは切れ長の目をした女の子。ソフィーと名付け大切に育てた。
三人の暮らしはまるでチームワークのようだとビルは言う。何事も相談して同意を得なければ進めないからだ。
時間はかかるがそこに正しい道が開けることを何度も学んだから迷いはない。
「食事の支度は二人で半々を分担します。仕事があっても娘ソフィーを一人で家におきません」
「ビルでなければ子育ても仕事も成り立ちません。どうしても彼が必要だから私は良きパートナーでいるように努力します。ビルをとても尊敬しているので一緒に仕事を続けたいのです」。
ソフィーは現在十五歳(2017年誌面掲載時)。おべんとうも自分で作り両親の手伝いを率先している。

娘ソフィーは背の高い女の子に成長。成績優秀な自慢の娘。

いろんなたくさんの話だった。素敵なキルトを提案し、良きカップルである二人が眩しく見える。
最後にゴールについて聞いた。
「いつも人が見たことのないキルトを提案して、クラスを受講してくれる方にきちんと指導していきたいです」
「最近は伝統キルトを作る人が興味を持ってくれるので楽しさをもっと伝えたいです」
と、返ってきた堅実な答えに以前二人が「孤島」と感じていたかつてのキルトの世界にいつの間にか彼らが仲間入りしていることを確信する。

誌面を飾る普段の風景を撮りたいと伝えると、すぐに四角にピーシングした布を壁のデザインボードに貼り付ける共同作業が始まった。
何ともスタイリッシュな仕事の流れ…。カッコ良いカップルの紛れもない現実の場面が撮れた。

キルティングはロングアームの専用ミシンで行う。

− Profile −

Modern Quilt Studiohttps://www.modernquiltstudio.com/

instagram→https://www.instagram.com/modernquiltstudio/

 

キルト時間8号(2017年秋)掲載記事

 

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